蝙蝠盤  自由帳

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2010年 04月 07日

つれづれ

 今日はものすごい寝癖がぜんぜん直らぬまま買いものに行った。
大きい筆と、もっと大きい刷毛と、ゴムべらと、ペインティングナイフを買った。
ゴムべらは、なんとなく下地塗りに使ってみたらどうなるのかなと思って買った。
それから、絵を梱包するときに表面を包む紙、ギャラリーの方のおすすめのを買った。
たぶん私は溶き油を多めに使っており、紙がくっつき易いので、くっつきにくい加工がしてある紙。
名前は「クッツカーネ」。
脱力する名前だ。
ロールで買ったので(脱力してる分)重かった。


 一日に一度猫のことをかんがえてしまう。
でも、猫が家にいたら、下地を塗ったところをよろこんでがりがりするんだろうなぁとか
ただでさえ油絵の埃対策が失策なのに、毛も付くんだろうなぁとか考える。


 「華麗なる遺産」(韓流ドラマ)とっくに終わってしまったんだなぁ、、。
韓流ドラマは、きのう書いた大島弓子と反対で、
誰もが分かっているハッピーエンドに向かって、どうしてここまでハラハラさせられるか!というところが醍醐味っつーか。ハラハラの中身も、ベタベタなのにどうして??
だから、ラストどうなったんだろう、とかはぜんぜん思わない。過程を見逃すことが悲しい。


 4月に対して、毎年のようにここでけちをつけてしまって、4月には申し訳ないが、
4月が一年で一番嫌いかもと今日思った。
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# by jingjing-li | 2010-04-07 00:04 | つれづればなし
2010年 04月 06日

春は

六義園で夜桜をみた。
携帯でてきとうに撮った写真だけど、、。
この桜はしだれてた。
しだれたもん勝ちというくらいしだれていた。


大島弓子の「グーグーだって猫である」
文庫化を待ってたのが、やっと3巻が出たので読んだ。
まさか「グーグー」で泣かされるとは、、、。
ホームレス氏とタマの話がーーー。
昔、ストーリーマンガでも、ホームレス氏が鍵になったのがあって、あれもよかったなぁと思い出したり。
グーグーもいいけど、やっぱりストーリーものも描いてほしいなぁ!

大島さんの話は、基本ハッピーエンドなんだけど、その最後のハッピーがいつも、
わあぁ、そうなん!?というハッピーで、思いもよらない方向からおむすびが転がって来るよう。
でも、そうか、自分でも気づかなかったけど自分が食べたかったのはこのおむすびです!と思ってしまう。
この、自分では思いもよらない方向から、というところが、「大島さんが新刊を出したら絶対買う」になるんだと思う。
しかも、何回も読むし。
それと、マンガの中に出て来る言葉が、ほんとうに良くて、
普通に暮らしてて、ポロっと思い出したりする。
で、この言葉、なんの話のやつだったっけ、とまた読んだり。
でも布教活動として、人に貸して返ってこないのがいろいろあって、読みかえせなかったり。
それでも貸したいのだった。

春はやっぱり「綿の国星」だ。

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# by jingjing-li | 2010-04-06 00:12 | つれづればなし
2010年 03月 23日

今日のラクガキ

ボツにした絵の裏にらくがき。
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部屋がMAXに汚いけど、ぜんぜん掃除がはかどらない。
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# by jingjing-li | 2010-03-23 19:41 |
2010年 03月 22日

無事に個展はじまりました。

5月1日までwaitingroomにて
です。
営業日は 金曜日と土曜日、13時〜19時オープンです。
お立ち寄りいただければ幸いです。


初日はいろいろなお方と話すことができて、ほんとうによかった!
来ていただいた方々、ありがとうございました!
最後はやはりやや飲み過ぎて無理矢理おひきとめした方とか!!ごめんなさい!

今日は、平面のひとでは、何年間も自分が好きな人のかなり上位に入っている長谷川等伯展に行った。
かなりへろへろだったけど、あさってまでやし、、行かねば、、と。
いつも平日にしか行かないので、入場40分待ちがこたえた。
阿修羅展のときもそんなかんじだったのだけど、
阿修羅は、人がわーっと群がって見つめてる中心で金色のライトを浴びて遠く睥睨するかんじが、今思うとむしろいいかんじの群衆の演出になっていた。
しかし、、等伯は、、
人混みの中で見ると、良さ90%OFF!
余白を観に行ったようなものなのに、余白にいっぱい人がいるのだから。
でも、今まで実物を観たことがなかった涅槃図とか観れてよかった。ものすごーい大きくて、かっこよかった。
涅槃図って、仏教圏でいろんな人がいろんなかたちで描いてたり仏像になったりしてるけど、死んだブッダのまわりで泣いてる人の悲しみが、今まで自分が観てきた涅槃図の中でいちばん、「わー、みんな悲しんではるわー」と伝わってきたのだった。
人間の顔も、こんなに描ける人だったのか。
自分の絵をからめて言うのもおこがましいけど、自分にはみっちり描くのは向いてないのかなと思うこともあるけど、
涅槃図みたいにみっちり埋めて、色もいっぱい使って描いてるのもあればこそ、墨だけで描いているものにはっとするので、やっぱりみっちり埋めるものは埋めるもので練習続けていくか、、とか思ったり。
等伯の最愛の息子は、等伯に脅威を感じた狩野派によって暗殺された説が有力らしいのだけど、
ばあちゃんによると、うちの祖先には狩野派の絵師だった人もいるとか、、ほんとか。
(ほんとなら)等伯ごーめーんとおもう。

40分並んでる間に、隣で並んでる人がVOCA展のフライヤーを持っていて、
あ、まだやってたんだなぁ、、じゃあ帰りに行ってみるか、と入ったら、
はっきり言って、搬入と初日でほっとしてホワホワした気分はほぼ吹き飛んでしまいました、、、。

坂本 夏子さんと中谷 ミチコさんがすごかった。
坂本さんは、言うことがないというか、、とにかくすごい。
中谷さんは、画像をどこかのサイトかなにかで観たときは、ふつうの平面に見えていたので、こんなことになってるんすか!という驚きと、アイディアと、それがまた絵と合っているのが見事だと思った。


上野の桜はすでに三分咲きだった。
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# by jingjing-li | 2010-03-22 01:32 | アートのはなし
2010年 03月 12日

長年の謎とか。

よくここに子どもの頃の話を書くことが多いなぁ、と自分で思うのだけど、
絵を描いていると、なぜか子どもの頃の思い出がいろいろ出て来るからだと思う。
というわけで今は絵ばっかり描いているのでまたそんなことを書く。
とってもつまらないと思うけど書く。

 会話が盛り上がりそうもないので、今まで人に話したことがないけど、
昔から自分の名前がしっくりこない。
モリタも、ショウコも、自分の名前だとわかっているけど、
どうも違うような気がする。

子どもの頃は、まだ自分がこの名前とつきあいが短いせいでそう思うだけで、大人になったら馴染むだろうと思っていたけど、やっぱり今でもぴんとこない。
「そういえばぴんとこない度数が、昔とぜんぜん減ってないなぁ、、」とこの前、会社で名前を呼ばれてやっぱりぴんとこなかったときに思った。

じゃあ、どんな名前がいいのだろう。
これもさっぱり思い付かないまま来た。
そして「でも他の名前だったとしても、そんなものかもしれない。」と今日初めて思った。
自分が死ねば、この世が永遠に続いたとしても、自分にとってのこの世は一切終わるので、
誰もが自分にとって自分は(一方向の)世界そのものだ。絶対的に。
世界に名前をつけた人はいない。たぶん。
世界に名前があったら変だ。どんなものでも似合わない。
そういった違和感だったんだこれは。と思った。
今のところこの考えはしっくりきた。

つづきのような話。
 絵を描くときに、なにを行っているのか。
同じ、絵を描くということをしていても、人によってまったく違うものなんだなぁと最近思う。
自分の場合は、
どうやら「自分の名前と顔を忘れる」ではないのか。
以前に書いた「拡散したい」というようなことと同じ。
そしてどうもそれは、良いことより悪いことが多い気がするけど。今は。
気のせいかもしれない。

つづきのような話。
 もうすぐ誕生日が近いので、今の季節は、
母親のお腹の中で、出て来るかこないか、人間一歩手間で、まだ名前も無くて、この世とあの世の中間地点にいた季節だ。
その頃のことは覚えていない。
覚えていたらよかったのに。
何を思っていただろう。
もうすぐ、もうすぐ、だろうか?

関係ない話。
 大勢の人と別れることになって寂しい。
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# by jingjing-li | 2010-03-12 03:30 | つれづればなし