蝙蝠盤  自由帳

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2010年 05月 19日

本と雪

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ただね、音楽家ってたいへんと思うよ
だって、この世にはあらかじめ、ひどい音があふれちゃっているから。
ものすごい雑踏のなかで、シャドウボクシングをつづけるようなもんだろう。
だけど、いいか、きみはちゃんとその世のなかをみつめなきゃならない。
この世が実際どんなひどい音をたてているのか、耳をそらさずききとらなけりゃならないんだ。
ぼくがおもうに、一流の音楽家っていうのは、
音の先にひろがるひどい景色のなかから、たったひとつでもいい、
かすかに鳴ってるきれいな音をひろいあげ、ぼくたちの耳におおきく、
とてつもなくおおきくひびかせてくれる、そういう技術をもったひとのことだよ

そんなのむりだ
ぼくの耳には、ふつうの音しかきこえないもの

そんなことはないよ
きみにはクーツェの麦ふみがきこえるじゃないか


「麦ふみクーツェ」いしいしんじ著
読んだ。
まず、ひらがなっぷりが、ひらがなに「し加減」が、分かる気がした。分かるって何が、というかんじだけど、自分もそこはひらがなにしておきたいところをひらがなにしてくれている本だった。
あと、私は絵を描くことをたまにシャドウボクシング(やったことないけど)に例えて話すことがあるので、おぉ、と思った。

写真。
一番初めに私が住んだ家で、母が30年くらい前に撮ったもの。
十字に写っているのが窓のサッシで、部屋のなかから撮った写真。
父が作った物干台も、窓も、庭も、となりの家も、雪で埋まっている。
みかんを食べにきているのは、百舌鳥かなぁ、椋鳥かなぁ
雪が見たいときは、これを見てがまんする。
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# by jingjing-li | 2010-05-19 01:13 | つれづればなし
2010年 05月 07日

今日のラクガキ他

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手塚治虫「MW」読んだ。
人間の悪事がいっぱいでてくる漫画だ。
悪事数珠つなぎ。
おんなこどもにも容赦なく不幸がふりかかる。
もしあらすじだけを人に聞いて、「こういうの読みたい?」と聞かれたら、私はぜんぜん読みたくないと答えるだろう。
でも、手塚治虫のだよ、と聞けば、「じゃあ読みたい」となる。
ふつうはずーーーんんんと読後感が最悪!になるようなストーリーでも、この人はそうならないから。
そしてやっぱりそうならなかった。面白かった。こんなに救いのない話なのに。
楳図 かずおの漫画もそうかもしれない。

手塚さんは死ぬまで人気を気にし続けて、常に若手に負けたくないと、あんな大物なのにある意味大人げなかったというエピソードをたまに見たり聞いたりするけれど、
漫画家が大人になってどうする。とも言える。
楳図さんのあの家とか見てても、そう思う。


アキ・カウリスマキの「街のあかり」観た。
前から思ってたけど、フィンランド人のこの監督の映画に出て来る役者の顔が、すべて自分が絵に描きたいと思うタイプの顔をしている。
画面の色も。さびれた海沿いの街も。
田舎の人の無口な感じ。
こてんぱんに惨じめな状況になったりするのに、なぜか笑えてしまう。
ロックが好きなんだなぁ、と思うところがよくでてくるけど、でもアメリカから遠い場所で、という空気に共感を覚える。世界のすみで聞くアメリカの音楽。
私は世界の中心からも日本の中心からも遠い、富山県で産まれたのだけど、
あの海と山しかない、雨の多い場所のあきらめ感。
「おくりびと」って原作は富山県なのに、映画では山形県が舞台に変えられてしまうような、田舎の中でも存在感のなさ。それさえも受け入れているようなところ。
そういう匂いがこの人の映画からもする。
小津映画に影響を受けたという話なので、日本人は入りやすいのかな。
名前も「アキ」だしな…。
お兄さん(も監督)は「ミカ」だしな…。

絵。
たいてい鉛筆は8Bか7Bを使って描いている。これは芯が固くて描き易い。
久しぶりに色鉛筆を使うと、同じ筆圧で描こうとして、芯をぼきぼき折ってしまうのが困る。
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# by jingjing-li | 2010-05-07 21:48 |
2010年 05月 03日

個展が無事に終わりました。

ほーんーとーうーにー勉強になることばかりだった。

足を運んで下さったすべてのかた、ありがとうございました。

 期間中、NPO法人コンテンポラリー・アート・イン・東京さんのアート飲み会というイベントにも参加させていただいて、飲み会の前にギャラリーに寄って下さった方多数、いろいろな方とお話できてたのしかったです。もうかなり前でいまさらなのですが〜〜〜その折りにお話してくださった方々、ありがとうございました!
 なんか勢いで(?)ギャラリーへのラジオの取材に私もお邪魔することになったり。まさかのJ-WAVE出演(1分も喋ってないけど)。経験値あがった…。
しかし後日それを肴にする会で初めて聞かせてもらったら、「とりあえず自分、へんな声ー!」っていう小学生みたいな感想だった…。

 会いに来てくれた、数年来、十数年来の友人たち。
今回、自分の経歴(美大中退後色々)について質問されることも何度かあったけど、
美大をやめようと思ってものすごく落ち込んでいたときに、
ある友人(今回は子ども連れて来た)に一番最初に電話して、「あのさぁ、」とだけ言って、何も言えなくなったら、友人は「どうした」と言って、それを聞いて泣いてしまったのだったけど。
今もたまに「あんな完璧な『どうした』は自分には一生言えなさそう、、」と思い出す。友人も10代だったはずなのに理想の母みたいな優しさのかたまりの声で、すごくさらっと言ったのだった。(ってことは本人には言ったことはないけれど)
自分は恥製造機のようだけれど、そういう節目節目で、いろいろ助けてもらってきた人達がいて、なんとか続けてこれてるなーと思う。
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# by jingjing-li | 2010-05-03 23:36 | つれづればなし
2010年 04月 30日

砧公園で

人物クロッキーした。
屋外で絵を描いたの、学校の写生旅行以来だなぁ。
生身の人物を見て描くのも、学校以来だった。
風が強くて、カルトンを押さえながら、飛んで来る葉っぱとか小さい虫とかを避けながら。
楽しかった。
構図とか線とか、家で描くときより甘くなってしまうけれども、
学生のような気持でモデルをじーっと見たりするのも、いいものだなぁ、、、。
単純に自分ち以外で絵を描くというのも、新鮮で不思議な感覚だった。
みんなそれでライブドローイングとかやるのかな。

雲一つなかったし、お弁当とかハッピーターンとか柑橘類とか食べて、缶酎ハイのんで、とても気持よかった。
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# by jingjing-li | 2010-04-30 15:19 | つれづればなし
2010年 04月 28日

最近「えーっ」と思ったことにまつわる話(長)

 ひとつのことで、大きくえーっ、、、とマイナスなことを思って、それがそれで止まるときと、
あれもこれもえーっ、、、と思い続けることになるときがあるけど、
最近の私は、続いたほうで、なんなんでしょうね、「星まわりですね」とか「何か拾ってきたか」とか言えたらいいかもだけど、スピリチュアル道とは(まだ?)ある程度は距離を保っておきたい私であった。

 それで、そういう状態になると、なんでかということを、
「深層心理発見ノート」(←大山ドラえもん風でお願いします)につらつら書いて考えることになるのだった。
このノートは、12、13才から始めたので、もう20年も続けていることになる。
ってゆーか、最近ぽろっと人に話すまで、20年続いていると気づかなかった。
続けようと思って続けたわけではなく。
「補助輪ノート」とか「はきだめノート」とか、呼び名はそのときどきでアレなのだけど、とにかくノートに書くという行為を目的にしたことは一度もなく、書くことでわかった(気になる)結果だけが目的だ。
だから、人生で使ってきたトイレットペーパーの長さを人が考えて「よし」と思ったりしないように、20年も書いたところで、達成感が残ることはない。(ちなみに昔のノートを読み返すことはない。むしろ絶対に読み返したくない。)
 絵(ラクガキ)も、たぶんこれに近かった。
絵を描くこと、続けることが目的ではなく、結果、物心ついたときから、続いた。
ただやめなかっただけだ。
 でも最近(ここ何年か)はそうじゃない。
描くことも目的の一つになりつつある。
そして、だからこその、今までとは違ったことがらにも出会ってくる。
今回はその流れなんだろう。
どーんと当たったかんじ。あたったものも、あたり具合も、「お初」といったかんじ。
自分にとってざんしんな感触。
斬新なものはやり過ごすのが大変だから、ノートに書いたほうがいいのだ。



諸々の中で、
2こ、「えーっ、、、」と思ったことで個人的出来事じゃないことをここに書くと。
いっこはipad。
にまつわる、やがては本が電子書籍に移行するが、ipadで加速するのは間違いないですね、という話だ。
まずは2、30年で、手始めに消えるのは雑誌だろうと。
このことが、たしかにたしかに、自分にも簡単に想像できて、そのか〜んたんに想像でき具合に落ち込んだ。リアルなんだなと。
電子書籍化はあまり歓迎ではない、という人も「まぁ雑誌はね」という意見だったりして。
紙の雑誌は摩擦なくするするーっと消えていく未来なんだなぁ、これから自分が生きる未来って。
 私は、母親が40年くらい前に買った「暮らしの手帖」などの雑誌を読むのが好きなのだ。
40年前って、平塚らいてうがまだ生きていて、今なら言えるとばかりに若かりし頃の自分と年下の画学生とのワンナイト・ラヴ(!)の顛末を嬉しそうに紙上で語っていたりするのだ。
というレアな話でなくとも、昔の人の人生相談だの、投稿コーナーだの、書評だの、
料理レシピの「バタ(バターのこと)はやわらかくしておきます。これをボールにとって、しゃもじでよくねります。」だの、色褪せたカラーページのかわいい服だのを、見るのが好き。
 今のUSBメモリや、CDRに文章や写真を落として、私が大事にとっておいたとしよう。
でもそれを数十年後、一般の家庭で開くことができるだろうか?
フロッピーディスク(やカセットテープ、ビデオテープ)と同じ運命を辿っている可能性の方が、遥かに高くない?
ネット上でがんばってアーカイブを探し出して読むことはできるのかもしれないけれど。雑誌だとそれも困難になっているのではないか。
紙以上に長い年月を一緒に歩んでくれるとは思えない。
わりと近い未来の人はもう、家の本棚の、古い雑誌を、なにげなーく引っ張り出して寝転がって読む楽しみは、味わえないのか。
私は、一つ貧しくなるのだなぁと思ってしまった。
きっとそれに変わる便利さを大きく感じられる人もいると思うので、もちろん自分ひとりの、2010年の感慨だけど。
 
もういっこめ。
自分がカフェとかバーをやるとしたら、「このお店の中ではTwitterとUstream中継はしません」と張り紙するかもしれない。(カフェとかバーやらないけど)
 この前飲んだところは小さなカウンターのところで、お客さんは3人だけ、カウンター内で店員さん2人ともが、iphoneをずーっといじっている。
私達の会話を書込まれていないとは、まったく断言できない。と思ってしまった。
人間不信すぎる?考えすぎ?
自意識過剰?それは当たっている。

 Ustream中継を生業としているらしい女の子が、「これからどこに行っても中継されている世の中になったらおもしろいと思います」みたいなことをはつらつと言っていた。
ほ、ほ、ほんとに?
イベントという公の場だとしても、そこに居た人にしか聞けない、聞かせられない、記録しないことを前提に話せる面白い話って、あるんじゃないの?
万人に聞かれても大丈夫な話だけって、あたりさわりない話って、おもしろいの?
「中継入ってるんじゃ、あの話はやめよう」てことになんない?
というとまどいと、
自分は人間不信すぎる?考えすぎ?という後ろめたさとがまぜこぜになって、なんともいえないあじわいブレンド。
そこにさらに、「しかし、世の中はたぶん、女の子の望む方向で進んでいくだろう」ミルク投入。
それは携帯電話みたいなひろまりの速さなのかな。どうなのかな。
私は、このなんともいえないあじわい・オレを、たぶん、年をとるごとに飲み続けていくことに、なりそう。
それが自分の未来の一側面みたいだ。

完全否定とか、完全拒絶する気は、ぜんぜんないのだけど。
それとも、意外にもぜーんぜん馴染んで、利用しまくって、恩恵をうけまくって、今日書いた内容をバカバカしく思うだろうか。
そっちのほうが楽しいだろうな。

それができるなら「観察ノート」はとっくに終わっていた気もするけど。


思い切って今までで一番長文にしてみた。
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# by jingjing-li | 2010-04-28 01:26 | つれづればなし