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2010年 02月 27日

そろそろ

DMを出していかないと、という日数になってきた。

DM用の絵は、DMを作ってもらってからも、
なんだかなー、なんだかなーっっっ!!と思いつづけ、描きくわえて一部変わってしまった。
んー。ちょっと虚偽広告?すんません、、と思いますが。

とくにこのひとの顔が変わった。前にも載せた子の今の顔。
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今までで一番時間かけた絵になった。
そして一つのをずーっと描いていると、わけがわからなくなってくることがわかった。
他の絵と同時進行の方がいいかもしれない。
朝と夜とか、どの壁に立て掛けるかで見える色が違ったりするのだけど、延々と色を変えたくなってしまったり。ひとりぐるぐる地獄〜。だれか〜〜。というかんじだった。

自分のペインティングについて点数をつけるとしたら、20点、という状態が続いていて、ぜんぜん点数伸びないのだけど、それは、描くごとに、20/100の、分母の100の方が、遠くなるというか、大きくなるというか。
プラス以上に、そっちが遠のくので、点はむしろ低くなってるかも。

それでも、だからってやめるということはないのだから、
前向きに考えれば、次の段階に進んでるということにはなる、、。
と思いつつ、
どうにか、「ぜんぜんやわーーーもーーーー」というボディブローとの戦い。
それがぜんぜん華麗な戦いじゃなくて、泥仕合といったほうが正しいかんじなのが、かなしい。

苦しいことばっかりみたいだけど、仕事からの帰り道とか、茶わんを洗っているときとか、
ぜんぜん関係ないことをしているときに、なぜか、「あ、絵、毎日描いてて楽しいわ」と、ふわーと思える。

そして、出鱈目な時間に寝て、出鱈目な時間に食べて、という毎日のわりには、ぜんぜん風邪もひかず健康なのがいいことかなー。

あと3週間だー。
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by jingjing-li | 2010-02-27 11:38 |
2010年 02月 18日

サラバ、地球よ、って、いい始まりだなぁ。

このまえ、自分の絵について、
なぜ神話や宗教的な雰囲気のある絵を描くのか、問われ、
あらためて、なんでだろう、と思う。
そのときの返事は、
「博物館にある品々は、今では美術品と呼ばれるものでも、
当時はアートというくくりで作られたものではなく、宗教的な関わりで作られたものが多い。
そういうものが好きで、馴染んできたから、特別なこととは思わずに、自分が絵を描くときそういう要素が入ってくるのではないかと思う。美術館よりも、博物館的なものが好き。」というようなことを話した。

話してから、あらためて、自分は博物館に行くとき、きもちが上がるのだけど、あのかんじは、美術館に行くときの気持とは、違う。と思った。
気持があがるだけでなく、落ち着く。
誰かのお墓に一緒に入れるために作られた人形とか、
菩薩は数千年後に復活するとされているけど、そのとき着るものがなかったら困るのでそのための服を入れてある壺(中身の服は見られない)とか、
あらゆる動物が屋根に盛りだくさんに乗って、踊っているような、五重塔の焼き物とか、
そういうものを見るときの気持というのは。

文化が違うのに普遍的なかんじ、
「死」との距離が、近いかんじ、と言ったらいいだろうか。
作った人の名前が残っていないところも大きいかもしれない。
「個人」がテーマではないということや、匿名性、というようなこともだけど、
作家の名前がなくても残っているだけあって、
なにより単純に、「なんだこの美しくて美しくて、美しいかたまりは。」というものが沢山あるし。

それでも、そういうものの影響です、と言ってしまってもいいのだろうか、とも思う。
何に影響を受けたか、それも聞かれることだけど、
答えは、いつも、あっているような、半分以上は間違っているような、という気になる。

幼稚園のとき、学芸会で、子鹿のバンビとして歌に合わせて踊ったのだけど、特に好きだとも思わず、てきとうに踊っていた。
けれども、宇宙戦艦ヤマトに合わせて踊るのは大好きで、
「サラバ、地球よ」のあたまからもう好きだった。
「銀河のかなたーイスカンダルへー」と、隊員になりきって一生懸命踊って、毎回、たのしかった。
エンディングの後、すがすがしかった。
アニメ自体は小さすぎてあまり覚えておらず、イスカンダルがどんなところなのか今でも知らないけど。
で、そのときは4才だったので、なにの影響で、バンビよりヤマトが好きか、とか、あるわけないので、生まれながらの趣味趣向、発想、としか言えない。
そういうものは絶対にある。
そのほうが、大部分を占めているのではないか、と思う。
そういうものはどうして決まるのか、考えるとほんとうにわからないのだけれど。
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by jingjing-li | 2010-02-18 21:01 | アートのはなし
2010年 02月 10日

今日のらくがき

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ペインティングのことばっかり考えて、イーッとなりすぎなので、息抜きに、鉛筆でごりごり描く。

ああああああ
すっきりした。

5分で描くということは、なんとすばらしいことだろう。

絵はちょっと病んでいる。
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by jingjing-li | 2010-02-10 05:41 |
2010年 02月 09日

いろいろ

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子どもの頃は、例えば母親のブラウスの柄とか、ポットやコップにプリントされた絵とかを、「模様」という認識としては、脳が処理していなかったような気がする。
絵とか色が、まんま、ばーんと入ってきてたと思う。
 例えばどこかのお店で、苦手な音楽がかかっていても、無意識に遮断できてたりするみたいなことが、視覚に関してもあると思う。それは子どもの頃はしていなかったと思う。そういうかんじ。
いろんな絵柄が、今より強い力で入ってきたときに、
きもちがわるい、なんかわからないけど、苦手、というかんじも、今より強かった。
当時の居間のカーテンの絵柄は、じっと見てられた。
花柄は、パターンで描かれていることが多いから、布団の花柄とか、面積が大きくて、延々とつながってて、苦手な絵だと、特に駄目だった。まじめに辿って見ていると、どうしようという気になった。
今でも花柄は難しいと思う。
きれいな色の布団カバーを母親がミシンで縫ったら、姉と取り合いになっていた。

qpさんの個展に行った。
子どもの頃に、qpさんの描いた模様の布とかがもし家にあったらとてもよかったのにと思う。
いくらでもじっと見てたと思う。
なんであんなにあっさり、100%きれいな組み合わせの色が使えるのか、皆目わからず。
嫉妬する。


自分が絵を見るとき、じーっと見たいか(見てしまうか)どうかが、もしかして一番だったのかなぁと最近思う。生理的にというか、本能的に、ものすごい「見る」ってことが。
とってもあたりまえのことかもしれないけど。もしかして、何が描かれているかとか、テーマとかは実はあんまり重要にしていないのかもしれない。重要でないことはないけど、2の次ではあるのかもしれない。そっちもよかったら、それに越したことなく大絶賛にはなる。
あくまでも、見る絵は。
描く絵は、ぜんぜんそうじゃない。描いていて気持いい絵と、見ていて気持いい絵は、自分の場合は、あんまり等しくない。
なぜだろう。
そんなものだろうか。
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by jingjing-li | 2010-02-09 05:16 |