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2009年 10月 28日

10月28日のメモ

あたらしい絵、やっと終わりが見えてきた、、。
少し大きめの、91センチ×73センチだけど、なんだか、これくらい大きい方が、小さいのよりむしろ描きやすいこともあるんだなーと思った。

私はストロークが見える絵が好きで、他の人の絵を観る時も、ストロークが見える気持よさというのがある。強いストロークだけが好きなのでなくて、か弱いならか弱いストロークの良さがある。
にじみを利用したような、消えそうな線とか。短いものが幾度と重なってできる良さもある。それぞれ好きだ。ここは長め、ここは細かめ、と、リズムの違いも好きだ。
で、ペインティングだとこれくらいは大きさがある方が、のびのびとストロークの勢いを表し易いんだなぁと思った。
じつは、そういうことは、ドローイングでは線の強弱で無意識にやってきていたことで、
ああいうかんじでやればいいんだよ、と思いつつ、試行錯誤つづく。
絵の具に白を混ぜると、筆跡はとても変わる。
白はなんか重要くさいとおもっていたけど、色味のことだけじゃなかったんだ、
どの段階で白を混ぜ始めるかは、筆跡のリズムを変えることにもなるんだ、、。

ストローク(線の強弱)は、音楽でいうと、
「この曲のベースのソロが入ってくるところと、その後のボーカルのかすれ具合が大好きなんだよ、ここは何回聴いてもグッとくるんだよ」というかんじのものだと思う。
あるいは、静かに曲が始まって、そのままの雰囲気で終わるのかと思ったら途中でピアノがわーっと重なって、リズムが変わり、また最後は静かに終わる、といったようなものだと思う。
ある種類の、快楽があるのだと思う。
心をひっかくような、ひろがるような。


なんで絵を観たいと思うんだろう。

自分が絵を描くので、私の「誰かが描いた絵が見たい」という気持は、いろいろな動機が入ってしまう。
でも、自分とのかねあいとかを抜きにしたら、なんで絵が観たいのか。
というか、じつは、そもそも純粋に絵画が観たいのか?他のいっぱいの面白いものと比べても?ということが、わからなくなることもあって、
ぼーんやりずっと、何年も考えていて、答えみたいな感覚は出てこなかった。
でも最近は、はっきりと、
「絵をみることには快楽みたいなものがある」と感じた。
これはけっこう、自分で楽になった。
自分でもがんばれば提供できるごはんがあるんだというかんじかもしれない。
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by jingjing-li | 2009-10-28 05:06 | アートのはなし
2009年 10月 13日

胸の嵐もひどかったと見るほうが正しい

久しぶりに会うともだちと映画「ヴィヨンの妻」を観に行った。
先日チャラさんと浅野さんが離婚なさったことは、たいへんかなしい、二十歳のモデルさん?と、ゴシップ報道から勝手なことを延べつつ、映画館へ向かったのに、
映画が終わって第一声は、
、、やっぱり浅野さんいいなー、、。だった。
一番初めの登場シーン、闇の向こうから、着物をなびかせて転げそうになりながら走って来るところからかっこよかったので、完敗だ。
役どころの(役名は違うけど)太宰治も(「も」ってゆうか)、松たか子さんというヨメがいるのに広末さん他、複数愛人がいる、おまけに心中まで、けどしょうがないんです、僕を許してください、みたいな役だったのだが、
しょうがないな、許す。って思うね、こんな本業のすばらしい人は。と思った。
あらためて、なんて演技がうまい人なんだろう、と。
演技がうまいっていうのがいい言葉なのかわからないけど。

太宰治が心中した当時(失敗した方でなくて本当に死んでしまったとき)、おそらくスキャンダラスな話でもちきりだった後に坂口安吾が書いた、「太宰治情死孝」。
芸人は、なにより本業を見てやるべきだ、という内容。
とーーてもいい文で好きなので、以下抜粋

「当面のスタコラサッちゃん(心中相手)について、一度も作品を書いていない。
作家に作品を書かせないような女は、つまらない女にきまっている。
とるに足らない女であったのだろう。
とるに足る女なら、太宰は、その女を書くために、尚、生きる筈であり、小説が書けなくなったとは云わなかった筈である。
そのくせ、そんな女にまで、惚れたり、惚れた気持になったりするから、バカバカしい。
特に太宰はそういう点ではバカバカしく、惚れ方、女の選び方、てんで体をなしておらないのである。
 それでいいではないか。惚れ方が体をなしていなかろうと、ジコーサマに入門しようと、玉川上水へとびこもうと、スタコラサッちゃんが自分と太宰の写真を飾って死に先立って敬々しく礼拝しようと、どんなにバカバカしくても、いいではないか。
 どんな仕事をしたか、芸道の人間は、それだけである。
吹きすさぶ胸の嵐に、花は狂い、死に方は偽られ、死に方に仮面をかぶり、
珍妙、体をなさなくとも、その生前の作品だけは偽ることはできなかった筈である。
 むしろ、体をなさないだけ、彼の苦悩も狂おしく、胸の嵐もひどかったと見てやる方が正しいだろう。
この女に惚れました。惚れるだけの立派な唯一の女性です。天国で添いとげます、そんな風に首尾一貫、恋愛によって死ぬほうが、私には、珍だ。
惚れているなら現世で生きぬくがよい。
 太宰の自殺は、自殺というより、芸道人の身悶えの一様相であり、ジコーサマ入門と同じような体をなさざるアガキであったと思えばマチガイなかろう。
こういう悪アガキはそっとしておいて、いたわって、静かに休ませてやるがいい。
 
芸道は常時に於いて戦争だから、平チャラな顔をしていても、ヘソの奥では常にキャツと悲鳴をあげ、穴ボコへにげこまずにいられなくなり、意味もない女と情死し、世の終わりに至るまで、生き方死に方をなさなくなる。
こんなことは、問題とするに足りない。作品がすべてである。」


やさしいよなー、、、安吾。

って、
結局安吾を誉める。


一年前に描いた絵を、買っていただくにあたって、
加筆。
一年間で、できるようになったことと、
まだできないことが、如実に見えるという、、、
がーん。
がんばろう。
いまから朝まで続き描く。
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by jingjing-li | 2009-10-13 02:42 | アートのはなし
2009年 10月 10日

今日のできごと

蒼井優ちゃんとキョンキョンが出てた「楽屋」というお芝居が、
教育テレビでやるというので楽しみにカレンダーにメモしていたら、メモした字が汚すぎて、一時間まちがえ、途中からしか観れなかった、、、、
アーホーすーぎーるー自分ー。

4人芝居で、4人の女優の幽霊の話(たぶん。途中から観る分には、、、)。どうやら今は亡き日本の有名な劇作家さんが作った戯曲らしい。
女優が女優役をやるっていうのは、一つ一つのセリフが自分にも返ってくるし、これはすごいことになっている、と思いながら観た。気迫のようなものが増幅している気が。

そしたら、芝居の後、演出をした生瀬さんと女優の一人の渡辺えりさんの対談で、
渡辺えりさんが、
最後のカーテンコールのときに、今までの、たぶん演劇に関わってきた人たち、女優さんたちが客席らへんにたくさんいるのが、わーっと見えるって言っていた。ちょっと涙ぐみながら。むこう側の世界のお人たちが。
(えりさんはとても霊感があるという話を前もテレビで観たことがあった)

その人たちが作ってきた歴史があるおかげで自分達がこうして舞台に立っていられるから、
この芝居の最後のセリフみたいに、みんながきっと思ってたと思う、
舞台に立てなかった人たち、芝居の変革を成し遂げる志半ばだった人たちもいると思う、
だからお客さんにもだけど、毎回、その人たちにむかってもおじぎしてる。
と、いうようなことを言っておられた。

凄い話…!

渡辺えりさんの演劇への愛にもじーんとした。
演劇への愛というより、演劇バカ?もちろん褒め言葉として。
「死にたくない、死んだら明日からお芝居観れないから」なんでしょ?僕はそこまでは思えません、と生瀬さんも笑って言っていたけど、本当に、そこまで思えるってすごい事だし、幸せな事だと思う。
他の女優さん3人もみんなお芝居に対して積極的で、楽屋が本当に4人一緒で、ずーっと演劇の話と文学の話ばっかりして、こんな楽しい楽屋ないよ、と。
いいなーぁ。
そして蒼井優ちゃんは谷崎潤一郎を楽屋で読み、帰り道も携帯の灯りで本を照らして読みながら歩くほどの(あぶないよ)読書家らしい。


今日はこれぞ台風一過というかんじの青空で、
おかげで絵の具の乾燥が早くて下地づくりがばんばんはかどった、いい日だった。
何枚かローテーションで、一つベランダに出して乾かしてるあいだに、こっち塗って、というかんじ。
さてさて次だ。


ゴール!って場所に辿り着かなくても、ずーっと進んで行けてたら途中で死んでもいいかって気がする。
いつもそう思っていられるわけじゃない。たまに、それでもいいんじゃない?と思える。
渡辺えりさんの話も、またそう思わせてくれたのだった。
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by jingjing-li | 2009-10-10 01:42 | つれづればなし
2009年 10月 07日

プチ告白

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前に載せた絵だけど大きいサイズで載せてみる。

ここ2か月くらい「チャングムの誓い」にはまっていることを告白します。
何年か前に流行ったドラマだけど、現在東京で平日毎日放送しており、最初は平日仕事が休みのときしか観ていなかったのに、最近は一話たりとも見逃せなくなってきて、録画。
そして昨日、今日の回、2日連続泣かされる、、。こんなにドラマを真剣に観てるの何年ぶりだろう。
悪女たちも、それぞれ人間味があるため、ものすごい血みどろの悪人の筈なのに、そう思えなくなってしまう。
「曇りのない才能もなく、曇りのないまごころもなく、、、それがわたし。」という、悪女その2、クミョン。冷徹にもなりきれず、かといって正義を守る強い意志もない、と。
きっと、チャングムよりもクミョンとか悪女その1・チェ女官長の気持の方がわかっちゃう人もいて、「自分はそういうタイプの女」と思うみんなにも配慮した彼女たちの行く末で、とってもよくできた脚本だぜ。
そのへん北斗の拳とかガラスの仮面みたい。
主人公は天才だけど、読者(視聴者)は天才じゃない脇役にも共感できるっていうのは大事なヒット要因な気がする。
そして、物語を貫いているのは、復讐。なんだかんだいってもチャングムが誓うのは復讐。
ドロドロ陰謀だらけの宮廷で、穢れないままに信念を貫き復讐を果たすっていう、そりゃスカっとするよ。
図式はブルース・リー映画と一緒です。武器が料理と医術なだけで。
アジア圏で特に大ヒット頷ける。
もうすぐ終わりそうでさみしい。

いつかチャングムがクミョンに言った台詞、

「それは違うわ。誇りは、どんなに他人に踏みにじられようとも消えたりはしないのよ。
自分で捨てない限りは。」

なるほどねぇ、、。いいことゆうなぁ、、。(はまりすぎ)
そしてチャングムをいつも影で支えてきたミン・ジョンホさんの笑顔にキュン死にしそう。


昨日そのままテレビをつけてて、別のドラマの再放送を少し観た。
探偵役の子が犯人役の子に
「そんな理由で先生を殺したの?」
「どんな理由があろうと、人の命を奪っちゃいけないんだ!」
軽い、、、、説教が軽い、、、、。
それでもその説教で無事反省した犯人の子、パトカーに乗り込む前に探偵の子に
「罪を償った後、一緒に野球してくれる?」
「もちろんだよ!」
軽い、、、、殺された先生の命、軽い、、、、。

面白いドラマ作るのって、ほんとうに難しいんだろうなぁ、、。
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by jingjing-li | 2009-10-07 00:39 |
2009年 10月 02日

10月1日の日記

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けっこんした姉1へプレゼント用コラージュを作る。姉2が選んだ写真、昭和すぎる。戦後みたい、、。
母親がすべてのこどもの前髪を切り過ぎているせいだろうか。

薄い和紙にアクリルとアクリルガッシュでわしゃわしゃ塗って、切る、エリック・カール風?
はぁたのしい。
プレゼントなのでいつもより明るいかわいい色使ってみたり。

最近アクリルで下地塗った上に油彩という合わせ技のほうが場合によって良いと思って、久々にアクリル絵の具買った。

アクリルガッシュは不透明、アクリルは透明。

マットか透明かっていうのは、よく考えたら、ずーっと気にしているなぁと思った。
陶芸のときは、釉薬が、マットか透明かの配合加減。
刺繍していたときわざわざしちめんどくさい日本刺繍をしていたのは、綿の糸より絹の方が透明だから、絹の布地に絹の糸を使う日本刺繍をやったんだった。
なんでそこいつも気になるんだろうなぁ。


それはそうと、拡散したい。

拡散したいと思って絵を描くときがしあわせだと最近思った。

そんなことを思っていると、「拡散」というタイトルの漫画があることがわかった。
拡散してしまう男の子の話だ。
Amazonの紹介文[孤独な少年・東部克彦は、自らを繋ぎとめておくことが出来ず、世界中に“拡散”する現象に翻弄されている。]
なんだそりゃあ、読んでみたい。
作者は小田ひで次さん。

10月は、何回拡散できるかな。
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by jingjing-li | 2009-10-02 05:21 | つれづればなし