蝙蝠盤  自由帳

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2009年 04月 23日

左翼

このまえの続き。ブースの左翼のもようです。
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これらのドローイングのなかで、ペインティングにもしたいなぁ、というものと、
ペインティングの描き方が想像もつかないものがある。
想像もつかないやつは、ペインティングの武器不足なのかなぁ?
そこを乗り越えたらすごくいいものができるのか、
それともドローイングの方が映えるモチーフなのかなぁ…?
どっちなのか、今後も考えていくと思う。

そして新しいペインティング作品にむけて、じりじりする時間がまたやってきた。
あーほんとにじりじりする。

話変わって。
最近かわいい女の子と友達になった。21才だって。
せっかく同年代の感じで友達になってくれているので、
「かわいいわー、、」というおかあ目線はこころのなかに留めて、
口に出さないようにしているので、かわりにここでつぶやきます。
このへんの年頃の女の子で、たまに容姿+なにかがかわいいなーと思う子に出会うけど、
そのプラスアルファってなんだろうと考えていたんだけど、
「自分がかわいいと気づいていないかわいさ」ではないかと思った。
お花みたいだよー。と思います。自覚なく咲いてる姿が眩しいんだろうなぁと。
うまく言えないけど、お化粧とかもしっかりしてるし、彼氏もいるけど、
まだなんか気づいてないかんじがする。
おかあというよりおやじのつぶやきか。

一方、この前。
電車に乗っているとき、向かいの席に、キッザニアに向かう途中の4人組の小学生女子たちがおり。
会話が全部聞こえたんだけど、
その子たちは、「ちいさくてもおんなだなぁー、、」と思いました。
こちらの方が女歴が長く見えた。
年齢は関係ないのね。

山口百恵が自分で作詞した「一恵」のサビで、「わたしは女」と歌っていて、
その歌は、百恵ちゃんが女道をゆく覚悟を歌っているというかんじがして、しびれるのですが。
見習わねば。と思うのですが。
女の子は幼少期、始めは精神面で男の子で、やがて女の子の心理を得る(男の子は最初から男の子)、と心理学の本かなんかで読んだことがあるけど、
いつ、何才頃に女の子の心理にシフトチェンジするかは人それぞれで、その後の人生にすごく影響すると思う。
自分の場合は、チェンジするのが遅いということは、実はなかったと思うんだけど、
ずーっと男子の方のギアも消えないままに今に至っているような気がする。
そっちはそっちで成長した気がする。
10代の10年間くらいは、そのコントロールが定まらず、極端な振り幅があったせいで、忙しい思いをしたと思う。今思えば。
このまえラクガキの描き方についてここに書いたけど、
おじいさんを描いているときは、おじいさんになりきっているのだから、
そういうせいもあったのかもしれない。何日もその人でいることがあったから。

今は切り替えに自由がきいて便利になってるんじゃないかなぁ。
「働きマン」の松方みたいなスイッチ式とかに。
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by jingjing-li | 2009-04-23 03:31 |
2009年 04月 17日

そういえば

壁ありブースのもようはこんなんでした。
ちゃんとホームページにアップせねばと思いつつ、、、ブログって楽だなー。
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月曜日の夕方、NHKで、10分か15分間くらいで、
星新一ショートショートの映像化3本立てがやっているのをこのまえたまたまテレビ見てて知った。
星新一といえば小学校で出会った初めてのSFというかんじだけど、
あらためてこの前みた3話の内容の密度の濃さに衝撃を受けた。
うち一つ(アニメ)。
ある星でロボットたちが、自我に目覚めており、宇宙開発をしていた。
「約束の場所」を目指して。
仲間を増やし、苦難の果てにとうとう目的地へ辿りついたら、
そこは地球の賭場で、実は人間たちが、いろんな星へロボットを飛ばし、どこの星へ飛ばしたロボットが一番早く地球に帰ってくるか賭けていた、という話。
自我だと思っていたものは、プログラムだった。
しかもお金もちの人間の、暇つぶしのための。
タイトル:「宿命」。
んむむむー!と唸った、月曜日の夕方だった。

動物も、虫たちもちょっとづつ進化しているし、
インフルエンザみたいに新型のウィルスが数年単位でどんどんできてくるのも、
みんなで競争しているからなわけで、
人間の宇宙開発もどんどん進んでいる。
いったいそのプログラミングをした人は、いるのかなぁと、
ぼんやり考えることって、たまーにあるけど、
星さんの、それに対する一つの答え
「もしかしたらこんな理由かもよ、この世界も。我々の宿命とは。」
ってことでしょ?
モンスターエンジンの「暇を持て余した神々の遊び」じゃないですか!
それと同時に、人間て、こういうこともいずれ可能になったらやりかねない、という面。
小学生の頃よりショックでかい。

他の2話も、同等の中身の濃さで、これ一日3話が限度だなーと思った。
この3分間くらいの1話を、浦沢直樹さんに30巻のロボット漫画にしてもらっても薄まらないし、
村上隆さんに、数年かけて、数億円?投じてもらって、
ロポットを立体化して、映像にしてもらっても(先週inochi展を見に行ったばっかりなので、、)ぜんっぜん薄まらないじゃん!と思った。
ハリウッド映画界は脚本不足だそうだけど、星さんのショートショートをいっこずつ使えばいいと思った。

昨年星新一没後10年で、できた番組らしい。
毎回アニメが2本で実写が1本でやるらしい。とても丁寧に作ってあるかんじがした。
もともと深夜でやってて今回は好評につき再放送らしい。
関わっている人も、贅沢な面々らしい。

明和電気土佐さんの、星さんの本についての言葉を見つけた↓

小学校5年の時に読んで衝撃を受けて以来捨てられない本です。表紙が破れても、自作のイラスト入りカバーを張って大切に持っています。映画のシナリオのように無駄が無く、且つポエティックな文体、難しい本質をいかに的確に伝えるか、そのアドバイスをくれる本です。星新一の、生命に対する熱い想いを持ちながら、テクノロジーに対する洞察力と、人間の持っている残酷さや悲観的な部分をクールにナンセンスに書く姿勢に共鳴します。

膝を打つような感想文。

それから、表現の仕方について、
この星さんのようにひっじょ〜〜〜に短いものでスパッと切り出す力と、
村上さんのようにとことんやる力と、、
ジャンルは違うけど最近自分が見たなかで両極端だったので考えさせられる。
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by jingjing-li | 2009-04-17 00:09 |
2009年 04月 14日

プリングルスの底

は、アルミ?
それをこの前書いた、金属用はさみで試し切り。
ほんとうにはさみは良く切れて、角がツンツン。
なので、切れ端が、ちょうあぶない!!
すごい小さい破片が出てこわい。
床には落とさないようにしないと。

プリングルスはクアトロチーズあじだった。
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by jingjing-li | 2009-04-14 00:52 | つれづればなし
2009年 04月 13日

打法

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geisaiに出したドローイングのなかの1枚。

こういうイメージはどこからどういうふうに思いつくんですかと聞かれることが多い。
今までは、自分でもよくわからないと思っていたけど、最近考えてみた。
たぶん、3つほどパターンがある。
一つは、構図込みでぱーんとひらめくとき(って、ぜんぜん説明になってない?)。
お風呂に入っているときやお茶碗を洗っているとき。
電気を消してさぁ寝よ、というときに思いついて電気をまたつけておおまかにだけ描く、といったこと。
もう一つは、モチーフと言葉から入るとき。
龍が出てくる絵を描きたい、と思ったとして、
龍。と紙に字を書く。
それで後から龍はどんな龍か、どんな場面か、考えていくもの。
他のことをしながら何日かぼんやり考えたりする。
写真を資料として見たりもする。
思いついていかなかったら龍の字のメモのまま。

最後は、ラクガキしながらその場でストーリーが仕上がっていくもの。
このときはほとんど人物の顔から描く。
顔が紙に現れて、その表情を見て、
「この人はこういう気持ち、なぜこういう気持ちかというと、こういう状況だから。こういう性格で、それは今までこういう人生だったから」と読み取って(?)いく。
そうすると、この人はこんな服は着ない、とか、この人は腕に筋肉が付いてる、とか自然に決まって、背景に描くものも出てくる。
そしてさらに、「この人には、だから、こうあって欲しい」
という自分の希望を加えていったりもする。
ラフのときはゆっくりじっくり考えながら描くんじゃなくて、
顔ができた時点で同時にわかってできあがっていくものが残っていく。
というかここで細部までイメージできない場合は、途中でラクガキの手が止まって、そこでその人とはお別れになる。
子供の頃からのラクガキはこのやり方。
このやり方がいちばん
「あー、描いた。スッキリした。」
という気持ちになれる。
その人になりきっていたりもするんだと思う。
上の絵はたしか、そんなスッキリな打法だった。
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by jingjing-li | 2009-04-13 00:18 |
2009年 04月 12日

あしのうら

が痛い。土踏まずのところが痛い。
この一ヶ月は非常ーーーーによく歩いている。
その前の半年、いや1年間で歩いた歩数を越しているとおもう。
この一ヶ月はそれだけ歩いたし、この1年はそれだけ歩かずに、部屋で絵を描いていたと思う。
パジャマのままで絵を描いて、パジャマに絵の具がついて…シーツについて…てんやわんや。

半透明の紙でやっている切り絵をもうちょっとべつのものにできないかと思ってて、
金属板が紙のように切れるというはさみを買った。
なんにもならないかもしれないけどなにかになるかもしれない。

ファウスト・メロッティというイタリアの造形作家が、好きで、
ちょうどモリスを観たころと同じ頃観て、こちらもずっと憧れの存在。
粘土や金工や布やガラスなどもミックスした、
独特ですてきな歌みたいなオブジェを作った人だった。
19か20才頃好きだったアーティストが、どちらかというと
己の道一本なタイプではなくて、あれもこれも手を染める人たちだったから、
そういうもんだと思ったのかなぁ?私は。

でも、自分の中心にあるのはやっぱり絵だと思う。
今はこれははっきりしてる。
絵なんて、むかしからあんなにらくがきばかりしていたのに、
ほんとうに一番難しいと思う。
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by jingjing-li | 2009-04-12 00:33 | つれづればなし
2009年 04月 01日

そういえば

いっこ前に書いたウィリアム・モリス。
私と同じ誕生日だった。

モリスは、まず聖職者を志し、その後芸術家を志し、
なぜか建築事務所に入り、辞めてから、
詩人になって、インテリアデザイナーになって、
モリス商会設立。

この誕生日の人はこういうめちゃくちゃ(?)な経歴になるのでしょうか。
親近感湧くし励まされるわ。
あと、すごい手間をかけた本づくりに、力を入れているのも親近感わく。
やっぱりいつか本は作りたいなぁ、、。
今まで作ってきたファイル式の作品を発展させて。
アイディアだけでまったく作れる兆しないけど。

そういえば父が一時モリタ商会っていうインチキ会社を名乗っていた。
「モリタ商会」になるとダサくなるのはなぜ。

話変わって。
先日のGEISAIで、
審査員の会田誠さんが、審査結果発表のときに、
「受賞は写真や映像の作品だったけど、
ペインティングの人にももっと頑張って欲しい。
ペインティングの人は、自分のタッチに酔っているところがある。
作業自体は、家に長い時間籠ってやるものだけど、
閉じこもったものにしないで、もっと客観的な視点を持つべき。」
というような内容(たぶん。そう聞こえた)の総評をされた。
自分のタッチに酔っている。
この言葉が、すごくわかりやすかった。
自分の絵も、人の絵も、もやっと思うとき。
うまくても。
「絵」を描いている絵。
になると、こころにこない。
その理由を、もう一歩踏み込んで切った言葉。
それー!と思った。
気をつけよう、、。
会田さんは、さらに
「ほんとうは、映像よりも、何よりも、
絵っていうのは、あらゆる美術のなかで、最強だと思ってます。
ちゃんと(向き合って)やれば、最強になるはずのものだと思ってます。」
というようなことを言われた。
私が映像をやめて結局絵をやっているのは、
最強だ、とか思ってのことじゃ全然ないし、
そんなふうに考えたことはなかったけど、
すごく嬉しかった。
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by jingjing-li | 2009-04-01 01:32 | アートのはなし