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2006年 05月 21日

イシノフスキーの話し

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 サハリンで終戦を迎えた後、現地で暮らしていたが、1958年に消息が途絶え、2000年に戦時死亡宣告が確定した元陸軍兵士が、じつは生きており、63年振りに一時帰国で故郷にかえる。
 というニュースを一月ほど前にテレビで見た。そんな人の、63年もの歳月のロシアという国での生活の、苦労や孤独や貧困などが、相当なものであったことはかんたんに想像がつく。それなのに、テレビにうつる顔は83才という年齢よりもとても若く見えて、眼がきれいで、背中もしゃんとして、苦渋を感じさせない、はにかんだような可愛い笑顔のおじいさんだった。テレビに釘づけになってしまった。ロシアのハンチング帽が似合っていた。あとは私のイメージだけど、死んだと思われていた元日本兵の帰国というシーンに着いてくる、悲壮感みたいなものがその人からは感じられないように見えた。やっぱりあの笑顔のせいかもしれない。あの人は途方もないと思われる、孤独感や絶望感などに、どうやって勝ったんだろう。
 私が見たのは、「今日東京に着いた、明日故郷の岩手に帰る」という日のニュースで、飛行機の中で「日本に帰ったら何が見たいですか」と聞かれて、「桜が見たい」。
まちの様子は63年であまりに変ってしまっただろうから、(そこもどう思ったかとても気になるけれども、)桜が咲くのは変らなくてよかったと思った。東京の桜はもう終わっていたけど、岩手はまさに桜の咲く頃だった。明日見られる桜やふるさとや兄や友人との、再会前の最後の一日を暮らす人の顔。いいもの見たと思った。彼はロシア語しか話せなくなっていたけど岩手で彼を待つ友人の一人が、「ほんとにうれしい、言葉は岩手に帰ったらすぐ思い出すと思う」と、岩手語で話していた。
 次の日の夜、ニュースがやる時間にテレビを見れなくて、岩手に帰ったときの顔を見ることができなかったのが、たいへんに悔やまれる。一月たってもわすれられない。
 嘘みたいに悲しいのに、うれしいニュースだった。そして、石之助さんというその人は、ロシアでの名前はイシノフスキーである、という嘘みたいな話しにはちょっと笑ってしまったのだった。
 イシノフスキーはどのようにして、負けなかったのかなぁ。そっちは想像がつかない。というより、想像を越えた何かなんだろうなぁ。尋ねたい。
 それから、そんな事情のある彼とわざわざ結婚した現地の女性の奥さんは、どんな人だったんだろう。どうやって結婚したんだろう。奥さんはもう亡くなってしまっていて、今はお子さんとお孫さんと暮らしているんだそうだ。
 
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by jingjing-li | 2006-05-21 00:53 |


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