2010年 04月 28日

最近「えーっ」と思ったことにまつわる話(長)

 ひとつのことで、大きくえーっ、、、とマイナスなことを思って、それがそれで止まるときと、
あれもこれもえーっ、、、と思い続けることになるときがあるけど、
最近の私は、続いたほうで、なんなんでしょうね、「星まわりですね」とか「何か拾ってきたか」とか言えたらいいかもだけど、スピリチュアル道とは(まだ?)ある程度は距離を保っておきたい私であった。

 それで、そういう状態になると、なんでかということを、
「深層心理発見ノート」(←大山ドラえもん風でお願いします)につらつら書いて考えることになるのだった。
このノートは、12、13才から始めたので、もう20年も続けていることになる。
ってゆーか、最近ぽろっと人に話すまで、20年続いていると気づかなかった。
続けようと思って続けたわけではなく。
「補助輪ノート」とか「はきだめノート」とか、呼び名はそのときどきでアレなのだけど、とにかくノートに書くという行為を目的にしたことは一度もなく、書くことでわかった(気になる)結果だけが目的だ。
だから、人生で使ってきたトイレットペーパーの長さを人が考えて「よし」と思ったりしないように、20年も書いたところで、達成感が残ることはない。(ちなみに昔のノートを読み返すことはない。むしろ絶対に読み返したくない。)
 絵(ラクガキ)も、たぶんこれに近かった。
絵を描くこと、続けることが目的ではなく、結果、物心ついたときから、続いた。
ただやめなかっただけだ。
 でも最近(ここ何年か)はそうじゃない。
描くことも目的の一つになりつつある。
そして、だからこその、今までとは違ったことがらにも出会ってくる。
今回はその流れなんだろう。
どーんと当たったかんじ。あたったものも、あたり具合も、「お初」といったかんじ。
自分にとってざんしんな感触。
斬新なものはやり過ごすのが大変だから、ノートに書いたほうがいいのだ。



諸々の中で、
2こ、「えーっ、、、」と思ったことで個人的出来事じゃないことをここに書くと。
いっこはipad。
にまつわる、やがては本が電子書籍に移行するが、ipadで加速するのは間違いないですね、という話だ。
まずは2、30年で、手始めに消えるのは雑誌だろうと。
このことが、たしかにたしかに、自分にも簡単に想像できて、そのか〜んたんに想像でき具合に落ち込んだ。リアルなんだなと。
電子書籍化はあまり歓迎ではない、という人も「まぁ雑誌はね」という意見だったりして。
紙の雑誌は摩擦なくするするーっと消えていく未来なんだなぁ、これから自分が生きる未来って。
 私は、母親が40年くらい前に買った「暮らしの手帖」などの雑誌を読むのが好きなのだ。
40年前って、平塚らいてうがまだ生きていて、今なら言えるとばかりに若かりし頃の自分と年下の画学生とのワンナイト・ラヴ(!)の顛末を嬉しそうに紙上で語っていたりするのだ。
というレアな話でなくとも、昔の人の人生相談だの、投稿コーナーだの、書評だの、
料理レシピの「バタ(バターのこと)はやわらかくしておきます。これをボールにとって、しゃもじでよくねります。」だの、色褪せたカラーページのかわいい服だのを、見るのが好き。
 今のUSBメモリや、CDRに文章や写真を落として、私が大事にとっておいたとしよう。
でもそれを数十年後、一般の家庭で開くことができるだろうか?
フロッピーディスク(やカセットテープ、ビデオテープ)と同じ運命を辿っている可能性の方が、遥かに高くない?
ネット上でがんばってアーカイブを探し出して読むことはできるのかもしれないけれど。雑誌だとそれも困難になっているのではないか。
紙以上に長い年月を一緒に歩んでくれるとは思えない。
わりと近い未来の人はもう、家の本棚の、古い雑誌を、なにげなーく引っ張り出して寝転がって読む楽しみは、味わえないのか。
私は、一つ貧しくなるのだなぁと思ってしまった。
きっとそれに変わる便利さを大きく感じられる人もいると思うので、もちろん自分ひとりの、2010年の感慨だけど。
 
もういっこめ。
自分がカフェとかバーをやるとしたら、「このお店の中ではTwitterとUstream中継はしません」と張り紙するかもしれない。(カフェとかバーやらないけど)
 この前飲んだところは小さなカウンターのところで、お客さんは3人だけ、カウンター内で店員さん2人ともが、iphoneをずーっといじっている。
私達の会話を書込まれていないとは、まったく断言できない。と思ってしまった。
人間不信すぎる?考えすぎ?
自意識過剰?それは当たっている。

 Ustream中継を生業としているらしい女の子が、「これからどこに行っても中継されている世の中になったらおもしろいと思います」みたいなことをはつらつと言っていた。
ほ、ほ、ほんとに?
イベントという公の場だとしても、そこに居た人にしか聞けない、聞かせられない、記録しないことを前提に話せる面白い話って、あるんじゃないの?
万人に聞かれても大丈夫な話だけって、あたりさわりない話って、おもしろいの?
「中継入ってるんじゃ、あの話はやめよう」てことになんない?
というとまどいと、
自分は人間不信すぎる?考えすぎ?という後ろめたさとがまぜこぜになって、なんともいえないあじわいブレンド。
そこにさらに、「しかし、世の中はたぶん、女の子の望む方向で進んでいくだろう」ミルク投入。
それは携帯電話みたいなひろまりの速さなのかな。どうなのかな。
私は、このなんともいえないあじわい・オレを、たぶん、年をとるごとに飲み続けていくことに、なりそう。
それが自分の未来の一側面みたいだ。

完全否定とか、完全拒絶する気は、ぜんぜんないのだけど。
それとも、意外にもぜーんぜん馴染んで、利用しまくって、恩恵をうけまくって、今日書いた内容をバカバカしく思うだろうか。
そっちのほうが楽しいだろうな。

それができるなら「観察ノート」はとっくに終わっていた気もするけど。


思い切って今までで一番長文にしてみた。
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by jingjing-li | 2010-04-28 01:26 | つれづればなし


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